2022/01/21

冬と春のあわい

「大寒」暦の上で一年で1番寒い日。寒風きびしい朝も「仕方ない、大寒だもの」と思える。  年賀状のやりとりはない方から 寒中お見舞いのお葉書を頂くのも この頃。  ご無沙汰している方からのお便り。「お元気でいらっしゃるんだ、よかった~」と嬉しい。  そして、私も寒中のお見舞いを出そうと 文箱から無地のはがきを取り出す。  これまで作った沢山の印を入れた大きな桐函もヨイショと。何を捺そうかなと、、、  梅枝の印を捺してから、 丸い福印を花のように沢山捺そうか、  朱一色とか、色とりどりにとか、作品作るような気分になっていく。「出来た!」と  仕上がったハガキに 表書きをしたためる、、、、。なんか違う、、、。ピンとこない。  なんか、力が入り過ぎている、がんばり過ぎてる。そう思うと急に力を抜いてみたくなった。  ふーと息を吐いて。やわらかいクレヨンで 5弁の梅花を描いた。ただ子供のように。  ふと、菜根譚の一節を書き、そして「寒中お見舞い申し上げます」  梅枝印も福印も使わず ただ佳い日でありますように、と「好日」の一印。  上手に見えないけれど、今の気分はこんな感じだ。  心やわらぎ気平らかなるもの百福自ずから集まる・・・  一生懸命になる時、 つい忘れてしまいそうになる 心のやわらかさ、、、自省したい。  暦では 節分を迎えるまでは 冬 明けると春。   寒中お見舞いは この短い 冬と春の間に交わす 心のキャッチボールのようだ。    

2022/01/03

書き初め

書き初めは古来正月二日に吉方に向かい、めでたい詩歌などを書く行事だが、 近年は 年が明けてから初めて筆を持ち書く ことも意味する。わたしも 茂吉の歌「新しき年のはじめにおもふことひとつ心につとめて行かな」の如く 新年に心にとめたいことばを毎年書いている。長い文の年もあれば、一文字の年もある。 今年は
 お正月、昨秋録画していたNHKのアーカイブ番組を視た。 「エリック・カールの未来の授業」エリック氏のメッセージに強く共感した。 【うまく描こうという気負いや失敗するのではないかという心配を忘れることでかえって美しい色やいきいきした形が生み出せる】 全く、書でも印刻でも いや、全てのことにあてはまる。稽古 勉強 修練・・・必要な積み重ね けれど いざ書く時、刻る時は  只 心のままに書きたい、刻りたいといつも思う。生き生きしたものを。難しい、けれど、いつか。 子供達へのメッセージだが、自分はいつのまにか子供達の中に入っていた。 余談だが、エリック氏のアトリエに書の額が壁に掛けられていた。空海の風信帖の一文字「書」

2022/01/01

謹賀新年

年が明けた。 新しい年。 2022年 令和四年 元旦。 「元日」より「元旦」を好むのは、白川静先生による 【「旦」の字源は雲を破って出る形】という説が好きだから。 夜道を歩きながら、この真っ暗な空に日が隠れている。 待てば、いつかその時になれば、日は闇を突き破って出てくる。 そんなイメージが好きで もうずっと前から「旦」の古代文字を 書き続けている。書いても書いても飽きない字。 そして、元旦は特別な詞。一年の 1月1日にしか使えない。 新しい年の まさに はじまりの日のこと。 自分自身も家族も縁の人々もそして会うこともない見知らぬ人々にとって、 新しい年が平安で佳き年になりますように、と 心より深く祈り はじまりの一日を過ごしたいと思う。 そして今年は寅年。動物でたとえると虎。  虎視眈々と。 けれど獲物を狙うのではなく 自分が辿り着きたいところを見つめ、 大地踏みしめ、歩いて行く。 そんな年にしたい。 こんな気恥ずかしくも大それた目標を掲げるのも、新年 元旦 だからだろう。
この拙ブログをお読み下さっている方々へ どうぞ今年もよろしくお願いいたします。