2022/10/16

ある秋の日 のこと

いつのまにか、うちの小さな庭では金木犀が咲いていた。 この甘い香りに、青梅に住まいされている書家 村木享子さんの処にお伺いした 日を思い出す。四方に多摩連山を望む、自然豊かな美しい山里だった。 かねてより先生の著作に感銘を受けていた私は 東京の書のイベント会場で 偶然お見掛けした先生に思わずお声かけした事がきっかけとなった。 書は勿論、彫刻、ルオーのミセレーレ、マテイスの素描、、、様々な芸術が溶け込んだ 風格のある書室。御岳山が見える窓際にはアンテイークのウインザーチェア。 日が落ちると 山々は黒い大きな影になり、吹く風にお庭の銀木犀はひときわ香り、 虫の音が響いていた。鉄の燭台に灯した明かりのみ。 此処で思索を重ね、書作の鍛錬をつくされていらっしゃるのかと感慨深かった。 交流のあった井上有一、森田子龍、ドイツでの個展など 様々な話をお聴きしたこと 村木先生のボンド墨と大筆で書したこと かけがえのない時間だったとつくづく思う。 一緒に何か書きましょうと、私がまず「秋」と書き、先生が「気」と書かれた全紙の一枚。
改めて見ると自身の拙な字に赤面するが、書は一期一会。 この「秋の日」が確かに紙の上に残された。

2022/07/09

ことばを着る

実篤の、このことばがいつも心にある。   ・・・ 自分の精神を生かしきって仕事すること 天与のものを生かしきること   ・・・・   道を歩きぬくこと・・。 昨日の 恐ろしく悲しいニュース。 有名無名 仕事の大小 全く関係ない。 人それぞれ。 同じかけがえのない 命。 胸がつまる。 先日、思い思いのTシャツを発表する企画展があった。 常々、Tシャツについて思うことあり 参加した。 擦り切れて穴があいても、心地よく馴染んだジーンズのような 経年変化が愛着となるTシャツにならないだろうかと。 古くなっても何故か手放せなかった数枚のシャツを解体し、 きれいなところを手縫いでつなぎ合わせて新しい形にした。 そして、そこに ことばを墨で書いた。 「ことばを着る」。 肌に近いTシャツは心にも近いから。 好きなものを生かしきって、まっとうさせ 旅立たせたい。

2022/03/18

ミロ と 書

数年前、色とりどりの梅や桜が美しい熱海の山の方にある旅館に飾ってもらった拙作の書。 壁に掛けられたミロとコラボしたようで嬉しくて、撮った一枚。
 今、東京で興味深い展覧会が開催されている。 「ミロ展 日本を夢みて」130点の作品や資料から特にミロと書道との関係が目を引くという。 「日本好きだったミロは、和筆や和紙を収集し、線描のかすれやにじみ、はねを繰り返し試していた・・・  書道ではタブーのなぞり書きもいとわず・・・研究者によると『書の神髄より、線の濃淡や潤渇、肥痩の  効果を作品に取り込むことに興味があった』・・・」と読売新聞文化部 森田睦さんの署名記事を読んだ。  ずっと、ミロの作品に書的なものを強く感じていて、ミロの線の再現を書法で試したりしていた私は  この内容がとても興味深く、とてもとても 納得した 。    「山笑う」季節はそこまできている。   けれど 国内外、辛いことが多すぎる    運命の神様が微笑えむ春になりますように 切に願う

2022/02/23

おひなさま

昨春は久しぶりにと、お雛様お道具一式を飾った。雛壇は作らず、お内裏さま、三人官女、五人囃子、随身、仕丁、お道具等を勢揃いさせるだけで。 今年も雨水が過ぎ、そろそろ思いつつ。ようやく。お内裏さまだけを取り出した。「一年間お待たせしました」と。 この季、いつも思い出す与謝蕪村の句を書いてみた。

2022/01/21

冬と春のあわい

「大寒」暦の上で一年で1番寒い日。寒風きびしい朝も「仕方ない、大寒だもの」と思える。  年賀状のやりとりはない方から 寒中お見舞いのお葉書を頂くのも この頃。  ご無沙汰している方からのお便り。「お元気でいらっしゃるんだ、よかった~」と嬉しい。  そして、私も寒中のお見舞いを出そうと 文箱から無地のはがきを取り出す。  これまで作った沢山の印を入れた大きな桐函もヨイショと。何を捺そうかなと、、、  梅枝の印を捺してから、 丸い福印を花のように沢山捺そうか、  朱一色とか、色とりどりにとか、作品作るような気分になっていく。「出来た!」と  仕上がったハガキに 表書きをしたためる、、、、。なんか違う、、、。ピンとこない。  なんか、力が入り過ぎている、がんばり過ぎてる。そう思うと急に力を抜いてみたくなった。  ふーと息を吐いて。やわらかいクレヨンで 5弁の梅花を描いた。ただ子供のように。  ふと、菜根譚の一節を書き、そして「寒中お見舞い申し上げます」  梅枝印も福印も使わず ただ佳い日でありますように、と「好日」の一印。  上手に見えないけれど、今の気分はこんな感じだ。  心やわらぎ気平らかなるもの百福自ずから集まる・・・  一生懸命になる時、 つい忘れてしまいそうになる 心のやわらかさ、、、自省したい。  暦では 節分を迎えるまでは 冬 明けると春。   寒中お見舞いは この短い 冬と春の間に交わす 心のキャッチボールのようだ。    

2022/01/03

書き初め

書き初めは古来正月二日に吉方に向かい、めでたい詩歌などを書く行事だが、 近年は 年が明けてから初めて筆を持ち書く ことも意味する。わたしも 茂吉の歌「新しき年のはじめにおもふことひとつ心につとめて行かな」の如く 新年に心にとめたいことばを毎年書いている。長い文の年もあれば、一文字の年もある。 今年は
 お正月、昨秋録画していたNHKのアーカイブ番組を視た。 「エリック・カールの未来の授業」エリック氏のメッセージに強く共感した。 【うまく描こうという気負いや失敗するのではないかという心配を忘れることでかえって美しい色やいきいきした形が生み出せる】 全く、書でも印刻でも いや、全てのことにあてはまる。稽古 勉強 修練・・・必要な積み重ね けれど いざ書く時、刻る時は  只 心のままに書きたい、刻りたいといつも思う。生き生きしたものを。難しい、けれど、いつか。 子供達へのメッセージだが、自分はいつのまにか子供達の中に入っていた。 余談だが、エリック氏のアトリエに書の額が壁に掛けられていた。空海の風信帖の一文字「書」

2022/01/01

謹賀新年

年が明けた。 新しい年。 2022年 令和四年 元旦。 「元日」より「元旦」を好むのは、白川静先生による 【「旦」の字源は雲を破って出る形】という説が好きだから。 夜道を歩きながら、この真っ暗な空に日が隠れている。 待てば、いつかその時になれば、日は闇を突き破って出てくる。 そんなイメージが好きで もうずっと前から「旦」の古代文字を 書き続けている。書いても書いても飽きない字。 そして、元旦は特別な詞。一年の 1月1日にしか使えない。 新しい年の まさに はじまりの日のこと。 自分自身も家族も縁の人々もそして会うこともない見知らぬ人々にとって、 新しい年が平安で佳き年になりますように、と 心より深く祈り はじまりの一日を過ごしたいと思う。 そして今年は寅年。動物でたとえると虎。  虎視眈々と。 けれど獲物を狙うのではなく 自分が辿り着きたいところを見つめ、 大地踏みしめ、歩いて行く。 そんな年にしたい。 こんな気恥ずかしくも大それた目標を掲げるのも、新年 元旦 だからだろう。
この拙ブログをお読み下さっている方々へ どうぞ今年もよろしくお願いいたします。