2022/01/03
書き初め
書き初めは古来正月二日に吉方に向かい、めでたい詩歌などを書く行事だが、
近年は 年が明けてから初めて筆を持ち書く ことも意味する。わたしも
茂吉の歌「新しき年のはじめにおもふことひとつ心につとめて行かな」の如く
新年に心にとめたいことばを毎年書いている。長い文の年もあれば、一文字の年もある。
今年は
お正月、昨秋録画していたNHKのアーカイブ番組を視た。 「エリック・カールの未来の授業」エリック氏のメッセージに強く共感した。
【うまく描こうという気負いや失敗するのではないかという心配を忘れることでかえって美しい色やいきいきした形が生み出せる】
全く、書でも印刻でも いや、全てのことにあてはまる。稽古 勉強 修練・・・必要な積み重ね けれど いざ書く時、刻る時は
只 心のままに書きたい、刻りたいといつも思う。生き生きしたものを。難しい、けれど、いつか。
子供達へのメッセージだが、自分はいつのまにか子供達の中に入っていた。
余談だが、エリック氏のアトリエに書の額が壁に掛けられていた。空海の風信帖の一文字「書」
2022/01/01
謹賀新年
年が明けた。 新しい年。 2022年 令和四年 元旦。
「元日」より「元旦」を好むのは、白川静先生による
【「旦」の字源は雲を破って出る形】という説が好きだから。
夜道を歩きながら、この真っ暗な空に日が隠れている。
待てば、いつかその時になれば、日は闇を突き破って出てくる。
そんなイメージが好きで もうずっと前から「旦」の古代文字を
書き続けている。書いても書いても飽きない字。
そして、元旦は特別な詞。一年の 1月1日にしか使えない。
新しい年の まさに はじまりの日のこと。
自分自身も家族も縁の人々もそして会うこともない見知らぬ人々にとって、
新しい年が平安で佳き年になりますように、と
心より深く祈り はじまりの一日を過ごしたいと思う。
そして今年は寅年。動物でたとえると虎。
虎視眈々と。 けれど獲物を狙うのではなく 自分が辿り着きたいところを見つめ、
大地踏みしめ、歩いて行く。 そんな年にしたい。
こんな気恥ずかしくも大それた目標を掲げるのも、新年 元旦 だからだろう。
この拙ブログをお読み下さっている方々へ
どうぞ今年もよろしくお願いいたします。
2021/11/23
勤労感謝の日 五穀豊穣 すべてに感謝
いつからだろう。その日の祝日に関する番組を見つけられなくなったのは。
今日「勤労感謝の日」は広辞苑によると「勤労を尊び、生産を祝い、国民が互いに感謝しあうとする日とする」
もと「新嘗祭」 天皇が新穀を天地の神々に供えて感謝し、自らも食す祭儀だった
つまり 五穀豊穣に感謝する日でもあるのだ。
だだ新聞のテレビ欄でも 何かそのような番組が見つけられない。
そ今日のこの日を実感したいと 墨を磨り、千字文の「秋収冬蔵しゅうしゅうとうぞう」を書いた。
「春には耕し、夏にはくさとり、秋には収め、冬には蔵す」(荀子)
四季が交代して、五穀が成熟する。作物は春に芽生え、夏に成長して、秋に穀物を取り入れ、冬には蔵に収める」
このような循環が続いていくこと 日日の食に感謝しなければならないと、心に留めたい 四文字。
ふと、目にとまった今夜のNHKニュース9 「・・・近未来の世界勤労感謝の日・・・」見てみよう
2021/10/29
寅 虎 書く 刻す
毎年この頃になると、来年の干支の仕事をする。
来年は 壬寅(ジンイン)みずのえとら。動物では虎。
ひたすら 虎の様々なことを調べる。虎そのもののことから
虎を描いた名品、古典の書 まつわる出典など、、、
たとえば 後陽成天皇の「龍虎」書、
好みかと訊かれるとそうとは言えないのだが、
そのインパクトは大きく、詳しく知りたくなる。
すると、そもそも後陽成天皇は歴史的にいかような存在だったの?と
その頃はどのような書が主流だったのか?と歴史を遡ることになり、、
芋づる式に調べることが増えていく、、、脇道にそれながら。
すると どんどん新たな発見が生まれ、とても面白いのだが、、、
NHK大河での渋沢栄一がよく言う「時が足りねえー」状態になる。
で、或る程度自分を納得させて とにかくどんどん書く。
おもしろい。延々書けそう。でもまた渋沢栄一のセリフになる。
そこそこに 動物園に とらを見に行った。
ゆっさ ゆっさと歩く 時々立ち止まりギャラリーを見渡しているよう。
まだこどもなのに すごい風格。
動物園では 吼えるところも 駆けるところも見られないけれど、
悠然と歩く姿は ずっと見ていたくなった。
2021/10/13
真鍋叔郎さんのご自宅の書
10月5日、米国在住の真鍋叔郎さんのノーベル物理学賞受賞が決まり,
ご自宅でのインタビューがテレビ放映された時。「あ!」
先生のお顔の背景に映っていた、大きな書(額二点)に引き寄せられた。
瞬時見た、その書には「省吾の碑?詩?」の小さい文字。
(その書は、後に白鳥省吾の「夕景」抄が書かれていると知った。)
もうひとつは、井上靖「渦」が書かれた書。
何十年も米国在住の真鍋先生が、お部屋にあんなに大きな書を
かけていらっしゃることが嬉しく、とても興味深く思い、
新聞メデイアでインタビューされないかと注視していたが、
知る限りでは話題にのぼることがなかった。
発見。10月9日朝日新聞夕刊に、藤原学思さんの署名記事。
「自宅には、井上靖の詩の一節が飾られていた。。。」から始まり
「渦」が書かれた書額と白鳥省吾の詩の書額だけをも撮影されていた。
米国で研究生活をされている中、墨で書かれた日本のことばを
先生が傍におかれていることはきっと意味のあることだと思ったので、
この記者の方がこの書について触れられたことがとても嬉しかった。
今、ノーベル物理学賞を受賞された湯川秀樹さんのことを思い出す。
(私の)かつての書の先生とのご縁もあり書にもご造詣深く、ご著書の
「湯川秀樹歌文集」を拝読すると その文学的、人間的な深さに感銘する。
、真鍋先生も 湯川先生のように 科学者とは別の何か、思い深いことが
おありだろうと、、、ご自宅の書のお話をお尋ねしたいと思っている。
といっても 私がお訊きできる術はないので(笑) いつかどなたか
インタビューして下さることを願っている。
2021/10/09
世界郵便の日。大切なエアメイルを取り出してみた。
海外にいる友達や知り合いの人達と海外郵便を送り合っていたことを
懐かしく思う。今日、久しぶりに、大切にとっているエアメイルを取り出してみた。
それぞれ特徴のある字で書かれた手紙、カード、はがき。
便箋、封筒、切手、、、紙質、デザイン、筆記用具の種類、色、、、、
その人を思い浮かべる要素がぎっしり詰まっていて、、
たまらなく懐かしくなる。
手書きを常としている私は今でもエアメイルを書くし、
頂くこともある。けれど、インターネットメールで
瞬時に連絡が取れるようになった分、その数はぐっと減った。
メールは「?」と思ったことはすぐに確認が出来るし、
その内容や表現にも その人らしさがある。
でも、やっぱり 直に触れられる宝物にはならないのだとオモウ。
2021/10/05
通信講座 手で書くこと
コロナ感染拡大時から始めた郵送による通信講座。
オンラインの便利さや迅速さはないけれど、デジタルにはない手の温もりがある。
課題・添削のやり取りの時、受講者の方の、手で書かれたメッセージは
短くても、体温のある、その人ならではの言葉として、伝わってくる。
北海道十勝で農業をされているMさんは、課題の返信に いつも
高原の花の絵が刷られた一筆箋で メッセージを添えて下さる。
先日届いた、長月(九月)の書には
「今、十勝は秋まき小麦収穫で、目まぐるしい日々ですが
雨が降ったら、習字!としています。 日本の自然の美しいことば
古典の世界への誘いが 今、とても幸せに感じています。」と。
自然と共にお仕事されているMさんの暮らしに書がある。
爽やかな秋の日、書いた。尾崎喜八の詩。
![]() |
登録:
投稿 (Atom)